恐ろしやフォーおばさん (ベトナム)

 
  ベトナム初日。早朝に電車で到着。新しい国に来て気合も入っていたが、老いには勝てずホテルで昼過ぎまで寝る。寝ているだけでもお腹は減るもので、起きたらすぐに昼食をとることに。新しい土地に来たら名物をいただくのは当たり前。さっそくフォーを食べに、人が集まる市場に行くことにした。
道を渡るのに苦労しながらも、なんとか市場にたどり着く。と、そこには予想通りフォーらしき屋台が数件並んでいた。ただ、屋台と言っても日本のような暖簾をくぐって「いらっしゃい」なんてものじゃない。膝丈ぐらいのプラスチック製の机と椅子が(色は赤と青なんだが)、歩道いっぱいに埋め尽くされている。そして、その真ん中には、おばさんがドンと座り、辺りに睨みを効かせている。白い麺、豚肉の塊、スープが入っている大鍋などに囲まれながら。その様はまるで、お供え物をされた阿修羅像といった感じだ。
僕らは一番近くにあった屋台で食べることにし、近づいていった。が、近づくにつれて、ただでさえ怖そうなおばさんが、厄介者がきたと思ってか、さらに顔を緊張させる。そんなことを知ってか知らずか、さっちゃんが明るい笑顔でおばさんに話し掛ける。
「ハロー」
続けて、さっちゃんが聞く。
「フォー?」
にこりともせず、おばちゃんが軽く頷く。
「ハウマッチ?」
おばさんは足元にあったボールの蓋を取って、その中から10000ドン札を取り出し目の前に広げた。僕らは値段について相談。5秒後、すこしでもお役に立とうと、僕がピースサインを作って、フォーを二つ注文した。
おばちゃんは、一応洗ったと思われる器を足元から一つ取り、左手に持った。と思うと、次の瞬間、両手が流れるように動き出す。麺、調味料、豚肉をつぎつぎと器に入れ、スープをかけ、最後に香菜をのせる。無駄な力、無駄な動きはまったくない。その一連の動作は、生まれる前から知っていたかのようであった。そんな様子でおばちゃんは、三十秒もしないうちに二つのフォーを用意。僕らに手渡した。
僕は、受け取ったフォーをテーブルに置く。レンゲを右手に持ち、軽くかき混ぜ、スープを一口。野菜のうまみと鳥のコクが口いっぱいに広がる。そして、もうひとつ懐かしい味が。そう、味の素。今ではあまり口にしなくなったが、子供の頃よく食べた野菜スープのあの懐かしい味が、やさしく舌にしみわたる。
次に、レンゲから箸に持ち替え、麺、豚肉、香菜を一気に掴む。ぱくり。噛んだ感じは極細のうどんに似ているが、それとは違いを感じる。そして、噛めば噛むほど豚肉と麺とスープと香菜が調和され、ある時点を過ぎると融合し、バランスのとれた一つに味を生み出す。すばらしい。日本で食べたフォーとはまったく違う。日本のものは上品な味だったが、香菜がうまくマッチしてなかった。でもこれは違う。強い個性を持つ香菜がその個性は消さずに、かつ他の具を引き立てている。そして、一つの味となり美味しく仕上がっているのだ。
それでも半分ぐらい食べると、飽きっぽい性格の僕は、机の上にあるものに興味が出てくる。それでまず入れたのが、切り刻んである生の唐辛子。2,3入れて食べてみるが、これがものすごく辛い。辛いものはたいてい大丈夫なのだが、耐えられないくらい熱いので、即却下となった。
次に入れたのが、赤い辛そうなチリソース。すこしスープに溶かし、一口いただく。と、ほのかな辛味がフォーの柔らかい味に刺激を加え、また新しい味へと変化した。これはいける。もうすこしソースをスープに溶かし、残りの半分をいただいた。しかし、このソース。実は厄介者で、トイレにこもる回数を増す原因だったのだが、この時はまだ知る由もなかった。
スープまで飲み干し、2人して汗を拭き拭き席を立つ。そして、ドンがないので、さっちゃんがドル紙幣を見せながら、おばちゃんに
「オーケー?」と聞くと、うなずいた。
さっちゃんが5ドル札を手渡す。おばさんはおつりをドンで返す。さっちゃんがそれを受け取り、僕は帰ろうとする。が、さっちゃんはおつりを見ながら、なにやら考えている。
???
そして、僕に言った。
「おつりが足りない。」
「いくら返ってきたの?」
「30000ドン」
さっちゃんが電卓を出して計算を始める。
1$=15000ドン
5$=75000ドン
75000−20000=55000ドン
55000−30000=25000ドン
「25000ドン足りないよ。」
確認が終わると今度はさっちゃん。電卓を使っておばさんに説明を始める。
人差し指を立てながら「ワンダラー」と言い、電卓に15000と打つ。次に「ファイブダラー」と言いながら、5をかける。そして、器をそれぞれ指しながら、「ワン、ツー」と数え、電卓に20000と打ち、「ソー」と言いながら、75000−20000を計算して見せる。最後につり銭の30000ドンを見せて、あごをすこし上げ、下目使いでおばさんを睨みつける。
そんな睨みにも決してびびりらなそうなおばさんだったが、自分でもあまりにひどいレートで計算し、おつりを渡したと思ったのだろう。あっさりと20000ドンを追加でよこした。それでも、5000ドン足りなかったが、ガイドブックに載っている頃よりレートが悪くなっているのかもしれないと思い、5000ドンは要求せずにそこを立ち去った。 
その後、ドルをドンに何回か両替したが、15000以下で換えることはなく、おばさんは何も提供せずに、5000ドンを手に入れたわけだ。これが戦争を経験した人の強さなのか、それとも子を持つ母の強さなのか。恐ろしやフォーおばさん。

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